久しぶりのブログです。
今、古代ローマ時代のエッセンスを軸にした人事・労務管理の手法を絶賛企画中ですが、煮詰まってます。
まぁしばらくはグダグダで情けない時期が続く感じです。
そんなライフワークでもある古代ローマ史を概観していると、
嫌でも宗教がもたらすものについて考えてしまいます。
つまり、多神教と一神教についてですね。
古代ローマ時代は、多神教の時代でもあり、それこそたくさんの神々がいました。
その数約30万!古代ローマ人は、30万の神々を創ってしまったわけです。
だいぶユニークだし、自由ですね。
多神教は「神」ではなく「神々」です。
一神教の絶対的な神のように人間に厳格な戒律や教義を与え、
その教えに従って生きていくことを説いたものではなく、むしろいろんな問題を抱える
人間世界の現実を庇護してくれる頼もしい存在だったのです。
要は、人間世界が直面するあらゆる困難や問題は、俺たち人間の手で解決するので、
神様、どうか俺たちを見守って下さい、そして勇気を与えて下さい。
物語の主人公は人間です。多神教と人間の距離感って、多分こんな感じです。
ユダヤ教やキリスト教は、神の教えに従って生きていくことこそが
魂の安定と救済につながるといういわば救済思想です。
ゆえに、神は、唯一無二の絶対的な存在となり、どうか迷える子羊たちを
正しい道へお導き下さいとなってしまうのです。
とはいえ、ユダヤ教やキリスト教も当時は小さなコミュニティレベルでしたが
古代ローマとは共存できていました。
ちょっとした衝突やユダヤ戦役などの問題も生じたこともありましたが、
現実的で、政治的で、勝って譲ることを国是としていたローマ人は
一神教であってもケースバイケースで統治していくことができる
民族だったのです。
でもって、キリスト教が世に普及し始めるのが3世紀以降ですかね。
その後、政治的な目的もあって、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したことで
ローマ帝国内でも加速度的に普及していきます。
そこから、ローマの歴史も大きく変わっていきます。
精神のよりどころなるものをどこに置くか、それこそ万人の自由ですが、
僕は断然多神教の考えの方がしっくりきます。
もちろん、日本で生まれたからというのもあります。
多神教の神々は、人間生活の守護者であり、庇護してくれる存在です。
頑張るのは人間で、神様は味方で、背中を押してくれるものです。
その窮屈さが唯一の「真」とされ、人間世界の他の価値や多様性を否定したり、
行き過ぎてしまうと、人間世界の現実の1つでもある排除とか浄化とかの運動を
生み出してしまうような気がします。
人間は、多様な価値の重要性も、その中で生きていく術も本質的に知っています。
同時に、人間は、不都合なことやマイノリティを排除しようとする一面があることも知っています。
人間世界は、奇奇怪怪、魑魅魍魎、複雑の極みですね。